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愛を知らなかった二宮飛鳥が誰かを愛し、誰かに愛されることを知るまでのお話。それがアイドルマスターシンデレラガールズ(本当にぃ?)

二宮飛鳥と愛

まず大前提の話として。
二宮飛鳥というアイドルのテーマのひとつが「愛」あるいは「優しさ」であると。
俺はそう考えている。
※愛と言っても色んなニュアンスの愛があると想うが、ひとまずそれは区別しないでおく

二宮飛鳥は、かつての自分のようなはぐれもの達を救いたい…あるいはその孤独に寄り添いたいと願うアイドルである。
というのは俺が口を酸っぱくしていつもTwitterで言ってるからみんなご存知だと思う。

どこまで公式の設定に沿っているかは不明だが、シブヤノオト出演に際して公開されたボイスでも、「寂しさ・悲しみに呑まれそうになった誰か」に献身的に寄り添う姿も見せている。

ここまでで、二宮飛鳥が誰かの幸せを願い、寂しい心に寄り添う、慈愛に溢れたアイドルであることはわかっていただけたと思う。

しかしながら、二宮飛鳥が最初から「愛」を知るアイドルであったかというと、そうではない。
二宮飛鳥がモバマスで初登場してから間もない、2014年の3月。そこで実装されたカード「グリッターステージ」にはこんなセリフがある。

明言している訳では無いが、暗に「ボクは愛を信じていない」と言っているかのような口ぶりである。

他にも、デレステのルームではこんなセリフがある。

穿った見方かもしれないが、「コイツ『は』」の部分に、「ボクはそうじゃないけど」というニュアンスが多分に含まれているようには感じられないだろうか。

初期カードのセリフには以下のようなものもあり、アイドルになる前の二宮飛鳥が、誰かに愛される経験に乏しかったことが伺える。

そんな彼女が、どのタイミングで「愛」に目覚めたかは定かでないが、モバマス・デレステともに、初期カードの時点で「ファンを喜ばせたい」「誰かの希望になりたい」というセリフが出ていることから、割と早い段階で萌芽はしていて、グリッターステージの段階ではまだ確固たるものにはなってなかったと見るのが妥当であろうか。

追想公演

2020年の暮れ。二宮飛鳥が主役を務め、多くの二宮飛鳥Pたちを涙ちょちょぎれにしたイベント「追想公演 Missing Link Memories」。このお話において二宮飛鳥は、記憶と感情を失った少女アスカを演じた。

モバマスのイベント、とりわけLIVEツアーカーニバルについては、主役を演じるアイドルがアイドルになってからの軌跡、アイドルの人となりについて、ストーリーを通して追体験させようという趣きが強いように想う。

この追想公演についても例外ではなく、二宮飛鳥が演じるアスカという少女は「送り主の感情や記憶を、贈り物に込める」という力を持っており、その力を生かして人の想いを届ける配達人をしながら、「人が人を想う」とは一体どういうことなのかを学ぼうとしていた。

これは、アイドルになって初めて誰かに愛されることを知り、誰かを愛することを知った二宮飛鳥と重なる部分が多いのではないだろうか。
また、こうやって改めてツアーでも描写されていることから、二宮飛鳥の本質の一つが「愛」(この場合は隣人愛・アガペー的な意味合いだろうか)であることは間違いないであろう。

★それから…

うわああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!

Pは死んだ。モバマスがいつ終わるともしれない今。
今までの集大成とも言える二宮飛鳥の登場に耐えられなかったのだ。

いやでもお前「愛がよくわからなくて」は嘘だろ~~~~~~~~~~~~~~とぼけやがって~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

早くカードのセリフ見たい。

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