この記事をシェアする

【追想公演】アスカ「遥か地平線の向こうで」

00

ボクには、二人の掛け替えのない友達がいる。もしかすると、それは過去形で言い表したほうが正確なのかもしれない。ボクは彼女達のことを散々振り回したり、傷つけたり、泣かせたりした酷いヤツだから、友達だと思っているのはボクだけだったりするのかも。なにはともあれ。そんな彼女らと別れてから、果たしてどれだけの時間が経ったのか。いや、最早ボクにとって時間という概念は無意味なものであると言えよう。過去、現在、未来、別の地平。ボクにとって、時空間を隔てる壁というのは存在しないに等しい。第三者からのオーダーがなければ『事務所』から出られないというルールに縛られているので、そういう意味ではそれが壁と言えるかもしれないが。

あんな風に綺麗に決着をつけた筈なのに、一体全体何の因果か、ボクは今もこうやって自己の意識を、存在を保っていた。全く、自分のことながらしぶとすぎて困る。原因について思い当たる節がないではない。きっとこれはボクに課せられたカルマ。あれだけ散々死者と生者の理を乱してきたのだ。一度始めたからには、最後までそれを完遂しろ、ということなのだろう。その『最後』とやらが果たして訪れるのかどうかも、今のボクには理解らないけれど。

やることと言えば、別に『はじまりの世界』にいた時と変わらない。事務所にやって来た誰かからの依頼を受けて、その人の想いを誰かに繋げる。ただそれだけ。特筆すべきことがあるとすれば、それは依頼者の住む時空が毎回毎回異なるってことくらいかな。最初はいきなり知らない世界に放り込まれ困惑しきりだったが、今ではもうすっかり慣れてしまった。時折、あまりにも物騒すぎる世界に放り込まれるのは困りものだけれど(『蒸気の世界』や『塔の世界』に行った時は本当に大変だった)、色々な世界を旅できる今の生活はなかなかに刺激的で、充実したものである。

だけれど。たった一つ。どうしても満たされない想いがあった。

01

『爆烈の世界』から事務所に帰還したボクは、いつものコートをハンガーに掛け、ソファに深く腰を沈めた。中々にスリリングな世界だった。治安の悪さでいえば、今まで行った世界の中でも五指に入るだろう。もっとも、物理的な危機についてはあまり心配する必要はなかったが。主な舞台となった人工島の性質が故、ボクの身体スペックに大きなブーストが掛かってくれたのである。発動条件が発動条件なので、果たして喜んでいいものであるかは微妙なところだけれど……

「……想いのメッセンジャー。か」

背もたれに体重を掛けながら、此度の仕事中に出会った少女を思い出す。かつての助手と同じ名前、姿、声をした彼女。

別に、これ自体は珍しいことではない。以前知り合ったある魔女が言うには、これを『魂の同一人物』というそうだ。違う世界の同じ人。あらゆる世界は同じ場所から始まった。故に、存在のルーツ、魂の根源を同一とする者はあらゆる世界に偏在する……ということらしい。そういった存在とは過去に何度も出会っているし、何なら他ならぬボク自身と邂逅したことすらある。今更かつての知り合い(と同じ存在)と出会った所で心動くことはない、のだが。普段ならば。

なんの偶然か。あの世界の彼女は、人に想いを届ける配達人をしているそうだ。ボクとは違って、依頼主も届け先も生きている人間だし、色んな世界を股にかけたりもしていないけれど(いや、それが普通だが)。

『人の想いを届けるのが、私たちの仕事っ! お任せくださいっ♪』

そう屈託なく笑う彼女を見て、ボクはどうしようもなく助手のことを思い出してしまっていた。一体何を届けようとしていたのやら。何やら追手に追われる彼女らを思わず助けてしまったのも、きっと感傷のせいだろう。ボクは行った先の世界で厄介事に首を突っ込んだりしないよう心がけている……つもりなのだが。今回ばかりはつい。衝動的に。体が動いてしまっていた。

『ありがとうございます……知らないお姉さんっ! ……また今度お礼を言わせてくださいっ!』

ああ。でも。やっぱり彼女はどうしようもなく『彼女』ではなくって。

ボクは泣きそうになるのをこらえながら、孤独感を覚えながら。それと同時に湧き上がる力をもって、追手たちを蹴散らした。

『彼女』の──……助手の──……ユウキの、混じりけのない、心の底からの笑顔をもう一度見たい。
それが、ボクがはじまりの世界に置いてきた、唯一の心残りであった。

これもボクに課せられたカルマなのだろうか。あれからボクは、ただの一度としてはじまりの世界に行くことはできていなかった。世界というのは人間では知覚できないほど無数に存在するわけで。ボクの世界も無限に連なる世界の内の一つでしかない。それを考えると無理もない話ではあるが。

それでもボクは、もう一度彼女に会いたいという思いを捨てきれずにいる。この終わりの知れぬ旅を続ける上で、その願いが大きな助けになったのは間違いないだろう。でも、さすがにちょっとしんどくなってきたかもしれない。今日彼女と出会ってしまったのが相当効いている。ああ。どうして、あんなに、あまりにもそっくりな……いや悪いのは彼女ではないのだ。悪いのはあくまでも自身の感情を整理できないボクであって……駄目だな。考えが何もまとまらない。

「……カさんっ。……アスカさんっ」

ああ、幻聴までしてきた。今までずっと休みもなく働いてきたけれど。暫くのんびりと過ごした方がいいかもしれない。色んな世界で集めた興味深い書物の数々も、結局一冊も読めていないままだ。そうと決まれば話は早い。事務所の隅っこで埃を被っている筈のコーヒーメーカーを引っ張り出して、ここはひとつコーヒーブレイクと洒落込もうじゃないか。

「アスカさんっ!!」

目を開くと、助手の──ユウキの顔が視界いっぱいに広がっていた。

03

「……これは幻覚かな。ハハ、まさかこんなものまで見えてしまうなんて。ボクは相当参ってしまっているらし……」

さすがに状況を飲み込めず混乱しているボクの言葉を遮って、ユウキが胸に飛び込んでくる。

「アスカさんっ……アスカさんっ……」

この温もり。この感触。決して幻覚でも、夢でもない。あまりにもディティールが細かすぎる。そうなると彼女は本当にボクが知っているユウキなのだろうか。そうだという確信はあるが、だけど何故ここにいるのかは理解らない。疑問が尽きない。

「ユウキ、キミ、なんで……」

ボクは途中で言葉を飲み込んだ。ただ、胸の中ですすり泣くユウキの頭をただ撫でてやる。今はそんなことを聞くのは野暮だろう、と思った。
彼女と再び巡り合うまでの道のり。歩んできた数多の地平線。どれだけ長い旅だったかを思い返しながら。ユウキからは見えないことを良いことに、ボクは声を上げずに涙を流した。

暫くして。お互いに落ち着いてから、状況の確認をする。

「えっと……ここって事務所ですよねっ? 私、さっきまで子供や孫たちに見守られながら、『アスカさんにまた会いたかったなぁ』って考えてて……そしたら段々意識が遠くなって……気づいたらここにいて……なんだか若返ってるみたいですしっ……もしかして走馬灯とかっ? でも、こんな経験、した記憶がないし……」

……訂正しよう。ユウキはあまり落ち着けていないようだ(無理もないが)。しかし、その言葉を聞いてなんとなく状況は理解できた。どうやら彼女は元の世界で大往生をして(後から聞いた所、孫は十人もいたとか……)、そうしてボクと同じようにこの事務所に流れついたということなのだろう。

「そうか。ユウキ。キミはボクの遺志を継いで……いままでずっと頑張って来てくれたんだね」

「はいっ。アスカさんから受け取った想いを絶やさないように……ずっと……ずっと頑張って……さすがにおばあちゃんになってからは無理だったんですけどっ。頑張って……ううっ」

「フフッ。泣き虫なのは変わらないな。キミは……」

この場所がボクの犯した罪を禊ぐための牢獄であると言うのならば。ボクの助手を務め。そして後を継ぎ、死者の想いを生者に届け続けた彼女がここに囚われるのもまた必然なのだろう。

ああ。本当にボクは罪深い。自分自身だけに飽き足らず、大事な助手までも、いつ終わるともしれぬ旅に巻き込んでしまった。ボクの遺した想いのせいで。こんなのはまるで呪いじゃないか。

「そんなことはありませんっ! だって、そのおかげで、またこうやって会えたじゃないですかっ」

「確かにそれはそうかもしれないが。だけどユウキ。これからボク達が往く道は、元の世界とは比べ物にならないくらい過酷なものなんだよ。どれだけ危険な目に遭うか……」

「……元の世界でも剣を持ったお姉さんたちに追いかけられたりしましたし。今更じゃないかなって」

「…………」

ぐうの音も出なかった。きっとあの人ならカタギに手を出さないだろうという確信があったとはいえ。危ない橋を渡らせてしまったことに違いはない。

まだ記憶やら自我やらが曖昧だった時期だから…なんて、言い訳にもならないだろう。

「あと、アスカさんがいなくなった後も、機関の人たちと色々あったりして……これはさすがに話が長くなっちゃうんですけど……」

そんな彼女の言葉に罪悪感が募り、頭を抱える。そうしていると、不意に事務所の呼び鈴が鳴った。来客だ。やれやれ。せっかくの再開だというのに、それをゆっくり楽しむ間もない。

ボクはそれに返事をしようとするが、それを遮るような形で、

「はーいっ、ただいまっ!」

と元気溌剌な、遥か過去の記憶と寸分違わぬ声で、ユウキが答える。そうして玄関に向かって駆け出す彼女をボクは呼び止めた。

「待ってくれユウキ。……本当に、キミも一緒に往くというのかい? さっきも言ったけれど。本当に危険だ。次の仕事だって、きっと一筋縄ではいかない。事務所は少なくとも安全だから、キミはここで待ってたっていいんだ」

「もうっ、なに言ってるんですかっ!」

ちょっと怒った様子でユウキは言う。

「私はアスカさんの助手なんですから。アスカさんの行く所なら、どこにだって着いていきます。もしもこれが罰だって言うのなら……二人で一緒に犯してきた罪です。償うのだって一緒ですよっ」

そして、あっけに取られるボクの手を引いて、

「さあっ、行きましょうアスカさんっ! シークレット・プレゼントサービス……久しぶりに二人で出動ですっ!」

──言いながら浮かべたその笑顔は。ボクがずっと焦がれ続けてきたものであった。

ボク達の旅は、終わらない。

(了)

この記事をシェアする